宇野俊輔

LURAの会 

~宇野俊輔~
1955年大阪府生まれ。

大学院修了後、建設コンサルタント会社に就職。ODA(政府開発援助)関連の部署でフィリピンの漁港建設プロジェクトに携わった。プロジェクトの経済評価をする際、漁港建設予定地に住む人たちの移転費用も考慮すべきだと訴えたが、内政干渉だと取りあえってもらえなかった。もっと現場に合った仕事がしたいと、バナナやエビの民衆交易を行うATJ(オルター・トレード・ジャパン)に転職。

ATJではフィリピンから輸入していたバナナの現地担当となり、換金作物のバナナに加え自給作物をつくる活動にも携わった。その際、現地のある人に「私たちは今まで自分たちの暮らしをまもるために、時には銃を取らざるを得なかった。だけども、今はバナナと農業の話で、自分たちの暮らしをまもろうとしている。だから暮らしをまもることは同じなんだ。私たちにとって、農業はライフルであり、バナナはライフルの弾だ」 と言われた。その言葉に、食べ物は生きていく中での本当に根本で、農業は暮らしていく力をつけることだと気づかされた。

自分でも農業をやろうと決意し、2002年長野県伊那市へ移住。2005年には「食べものをつくるのはすごいことなんだ」ということを共有したいと思い、農業体験を始めた。参加者には好評だったものの、自分の暮らしを見つめ直すまでには至らなかった。また、生きていくために必要な食べものを商品にしたくないという思いもあった。そこで、会員制のグループで自給するという考えに至り、2011年2月にLURA(Linkage of Urban and Rural lives by Agriculture)の会を設立。約50世帯の会員たちと共に農作業や加工品づくりを行いながら、食べ物と人と人との関係性がある場を、暮らしのベースとして築いている。

~ナビゲーター岸本華果~
1996年生まれ。東京大学大学院農学生命科学研究科修士課程修了。
高校時代に途上国の貧困問題に関心を持ち、大学入学後に東南アジアの国々を訪れる中で、食と農が人間の根本であると感じ、また、途上国の問題は先進国の消費の問題であると考えるようになる。その後、生産と消費を近づけることが問題解決の鍵になりそうだと、フェアトレードやCSA(Community Supported Agriculture)に関心を持つ。その後、経済学者玉野井芳郎の「生命系の経済」を手がかりに、「食と農から『生命系の経済』を志向する取り組みに関する事例研究」というテーマで修論を執筆。
2020年12月から株式会社雨風太陽にて広報/PRのインターンを始め、そのまま2022年4月に新卒入社。法人営業部門企画推進部にて自治体と連携した生産者支援・販売促進・関係人口創出の取り組みのディレクションを担当。2024年5月末に退職し、現在は今後の生き方を模索中。

Study食べものを商品にしない。みんなで自給するLURAの会とは?

Comment- 勉強会を終えて -

「LURAの会」とはどんなコミュニティなのか。ナビゲーター岸本さんの論文や事前の打合せで様子は伺っていたものの、実際に宇野さんのお話を聞き、畑を耕すだけではない活動の幅広さと、ゆるやかに変わり続けるコミュニティの様子を知ることができました。

現在、「LURAの会」世話人として活動されている宇野さんは、フィリピンでの原体験をきっかけに、農業の力と可能性を信じ、45歳で就農されたとのこと。また、現在「LURAの会」の拠点となっている長野県伊那市に留まらず、都内の会員も巻き込むコミュニティになっているそうです。

”自分たちで作り、自分たちで食べる”=自給が軸となっているLURAの会ですが、週一回の農作業=すルーラ以外にも、会員同士の対話の場があったり、時には遠く都内の会員の自宅に長野の子供達が宿泊する交流を行ったりと田畑に限定されない会員同士の、関わりと繋がりの豊かさを感じました。

食べることは生きること、そして農業は自分たちで暮らしていく力の証であること。
“食”を起点とした緩やかなコミュニティ、という点は霞ヶ関ばたけに通じるところも多いにあると感じましたが、LURAの会は宇野さんのもの、ではなく会員50世帯みんなのもの。という言葉が心に残っています。
たとえ頻繁に農作業に関われない会員の方でも、”自分たちの食べ物”という意識が持てることを羨ましく思い、自分に置き換えた場合にはどんな方法があるだろうか、とも考える時間でした。
霞ヶ関ばたけ 望月

宇野俊輔

LURAの会

霞ヶ関ばたけへのメッセージ

~ナビゲーター岸本さん~
2年前に修士論文の内容「食と農から『生命系の経済』を志向する」を発表させていただいた時以来の霞ヶ関ばたけでした。

私の関心は、環境問題や貧困問題など現代社会の様々な問題をもたらしている資本主義経済から、どうはみ出し、異なる経済をつくっていけるのかということです。修士論文でも取り上げたLURAの会は、その"異なる経済"のひとつの形で、もっといろんな人に知ってもらいたいなという思いがありました。なので、今回こうした機会をいただけて、伝えられて、すごくよかったです。

単なる体験やイベントで終わらせずに、どうしたら日常を、意識や暮らしそのものを変えていけるのか、ということを宇野さんはずっと考え続けてきました。その考え続けた末の「みんなで自給」という形、LURAの会は、まだ途上かもしれませんが、着実に前に進んでいると私は感じています。

「はみ出す」最初の一歩は、自分の生命が何に依存しているのか、あるいは、その裏で何を犠牲にしているのかを知ることだと思います。日々目の前のことに一生懸命だとなかなか難しいかもしれませんが、この霞ヶ関ばたけがひとつのきっかけになってたら嬉しいなと思います。


~宇野さん~
さすが華果ちゃん、「『LURAの会』の活動の経済的側面の本質的な課題をきちっと理解してくれているなぁ。」と嬉しくなりました。
効率を追い求める今の経済の仕組みでは山間部のちいさな農業は成り立ちません。実際、緑に囲まれ心地よい風がそよぎ、冷たい沢の水に癒されるこの豊かな場所がどんどん耕作放棄地になり荒れ果ててきています。
50世帯ほどの仲間とのちいさな農場。
「たかが家庭菜園に毛が生えた程度のちいさな農家の試みなど取るに足らない!」そう思われているなと時々感じることがあります。 しかし、病気が出たら農薬、虫には殺虫剤、草は除草剤で手間をかけずに枯らしてしまう。このような工業系の農業が果たしてこれからも持続していくのでしょうか。
このままでは50年後の子ども達に「自分たちの欲得のために、こんなに自然を荒らしてしまったあの時代の人たち。」と言われそうです。 自分たちの生産物“商品”をより多く売るために、消費者の要望をそのまま受け入れ、それに沿った“もの”にするための不毛なそして時には間違った競争。
そうでない経済の仕組みを何とか実現できないか、その試みとして生産者と消費者が手を結ぶ形の『LURAの会』を立ち上げました。

そしてもう一つ重要な視点は、華果ちゃんが書いているように「自分の生命が何に依存しているのか。」という問いかけです。
農に携わることは、ある意味毎日殺戮を行うということです。農作物を収穫するだけでなく、それを得るために草を刈り、虫を殺します。
そのことによって自分たちの生命が維持されているのなら、少なくとも彼らに敬意を払うことが必要なのではないかと思います。そして出来る限りまっとうに生きてもらいたい。
しかし、土から離れれば離れるほどその感覚は失われていく気がします。そのためにはできる限り農業(第一次産業)の現場と強く繋がることが重要と考えています。

いつか『LURAの会』のような取り組みが各地で開催されていることが当たり前のような世の中が来ればと夢想しています。